石屋の仕事は「失敗しながら学んでいくしかない」 ー 中山忠彦さん(後編)

石屋の仕事は「失敗しながら学んでいくしかない」 ー 中山忠彦さん(後編)

この記事は後半です

インタビュー前半はこちら。AJI PROJECTの製品について、趣味の二胡演奏についてお話を伺いました。

「仕事はやっぱり楽しまんと」 ─ 中山忠彦さん(前編)

「僕はまだ30年ぐらいしかやってないから・・・」

経験と忍耐。石屋の仕事
前編で機械化が進んでも曲線・曲面は難しいと伺いました。機械で丸く抜く時などに出来る出来ないの判断はどのようにされていますか?
中山さん

それはもう失敗しながら学んでいくだけ。例えば筒状のものを作る時に、薄さは何ミリに出来るかというのを決めるときにも、大きさや石によって違って来る。 同じ庵治石でも細目や中目、さび石とで違う。「さび石でこのくらいの大きさなら10mmくらい残さなんだら割れるの」とか。石のキズも見ないかんけん、やっぱり経験やね。

様々な石を扱っている中で、庵治石はどういう特性がある石だと感じていらっしゃいますか?
中山さん

加工がしやすい石。押切り(石工道具)使うても、庵治石だったらよく掛かるけん、パコンと真っ直ぐに思うた通りに割れる。ノミもパチンパチンと同じ粒の石が飛んでいく。ほかの石だったらバコンと要らんところまで割れるんやけど、(庵治石は)目の細かさが密だから、上手いこと使うたら押し切りもノミも楽なんや。

燈籠の火袋の細い所とかのチッパーの仕事も庵治石だったら綺麗に出来る。だから役物(曲線や段のある加工品)を作ったり狛犬作ったりする職人さんは、割と使いやすい石やと思う。

産地にはたくさんの職人さんがいます。意識している人、影響を受けた人はいますか?
中山さん

みんな上手いなと思って見てます。僕は・・・まだ30年ぐらいで、そんなにたくさんはやってないからね。それでも40代になった頃から「これからは自分で考えて作るもんをやろう」と思うようになりました。 仏像を造ったりしたときには、仏像師の(和泉)良照さんところに持って行って「こんなんできたんやけど、どう思うな?」いうて見せるんや。ほんだら「うん、芯は通っとるけど、チッパーの使い方が悪いの。もうちょっと修業せないかんわ」いうて言われるんです(笑)

石は簡単には削れんけん、やっぱり忍耐力がいる。土木の仕事も一つの仕事を仕上げるんに3年から4年かかるけん、それももちろん忍耐だけど、土木の場合はいろんな業種の人が何千人と入って作る。せやけど、この石屋の仕事は一人がコツコツコツコツ・・・これもものすごい忍耐が要る。字彫りも仏像師も、お墓も一緒。自分もこの30年でそういう忍耐力が身についたと思うし、「せなおれん(せずにいられない)」というようなコツコツやる習慣が身体に染みついとる職人さんは多いと思う。

私の場合、楽器の二胡を50の時に初めて、今年でもう16年になるんやけど、石も二胡も一人で遊べる所がよう似とると思うんや。 コツコツコツしょったらそんだけ続くという・・・これはやっぱり石削ってきた忍耐力があってのことやと思うんね。

「グルメ&ダイニングスタイルショー」「むらおこし特産品コンテスト」などを受賞

庵治石製の石臼のはなし
中山石材工房さんとして手がけているクラフト、石臼について教えて下さい
中山さん

AJI PROJECTが始まる前、40才手前ぐらいの時に、仕事が減ってきた中で、「丸いもんで何かできんかな。昔から残っているもので何かないかな」と考えてた中で石臼を思いついたんです。
石臼というのは、弘法大師の頃・・・1,000年くらい前に中国から伝来してきたものやけん、中国にルーツがあるんちゃうかと考えてていたら、丁度うちの弟が中国と貿易してて・・・。あるとき「向こうで作った製品の出来が悪いけん、ちょっと検収に行ってくれんか」と言われて、月に一週間ぐらい中国の各地に行くという生活が4年間続いたんです。

北は大連から南は福建省まで。一人通訳が付いて・・・私も中国語を少し喋るけん、通訳がおらん時もあったんやけど、仕事の合間に昔のお城とかいろんなとこ行って石臼見たり、写真を撮ったりしよったんです。でも、行った先で「石臼ないか?」と聞いても、やっぱりもう機械に変わってしまっていて、石臼は捨てられてしまっていたりで・・・。福建省のある所では、倭寇からの防衛の為の城壁の中に石臼が埋め込まれてました。 そんなのを見つけては「どなんして作っとんのやろ?」と写真をようけ撮りました。

ものすごくシンプルに見えますが、中の溝の切り方とか、かなり研究されているなと感じたのですが、そういった研究結果だったんですね
中山さん

大学では工学部だったけん、最初は「石と石との摩擦係数はなんぼくらいか」とか「初動の機動力はなんぼいるんか」だとか数式で考えてました。 「上臼の重さを何kgにして、ここのかみ合わせの粗度係数を1から5にしたら機動力は何馬力いるか」とか「電動ならば○Wいるな」とか・・・。 でも、なんぼやっても上手くいかんくて、結局はもうこれは経験値しかないなと思うようになり、それからはとにかく作って作って・・・。今思えばそうやって遊っびょったんやろな(笑)

試作の時は電動のを作ったりもしたんやけど、やっぱり昔ながらのものだったら手でやるのが一番面白いなと思って。 最初に作ったのはコーヒーミルでした。うちの息子が剣道してて、その先生がコーヒー好きやったけん「お世話になってる御礼に」とプレゼントしたんです。そしたら「調子がええ」言われて、他の人にも作るようになって・・・そうこうするうちに「コーヒーだけでは面白くないけん」と抹茶の臼も作り初めて・・・そうやってどんどんどんどん広がっていったんです。

庵治石製の石臼(抹茶用)。茶葉を入れて石臼を回していくと、じわりじわりと粉雪のような抹茶が出てくる。

コーヒー豆と抹茶、挽くものによって荒さも全然違います。その辺りの調整はどのようにしているのですか?
中山さん

それは作る前に頭の中で何日か掛けてイメージして・・・目の細さとか、荒さ、深さ、曲面とか、幅とかそういうのを考えて、挽くものが石臼の中でどうなっていくかを想像するんですね。それから制作に掛かって、実際に挽いてみて思った通りになればOK。もちろん始めは何遍もやり直ししたけど、今は大体二、三回で思うた通りの粉が出てくるようになりました。そういう作業は面白いですよ。

石臼は今後どのように発展していくのでしょうか?
中山さん

これまでも、岡山の薬品会社さんから「これを粉末にしたいんだけど」と話が来たり、「築地の魚市場で出る魚のアラから特定の成分を取り出せんか」と相談されたり・・・いろんなところからいろんな話が来ました。 魚のアラの件は10年くらい東京に行ったりしながらやりました。魚のアラを捨てるのに1日数十万円のコストが掛かってたんですけど、それを全部ゴロゴロと石臼で挽いてみようか、と。 鉄くずや銀紙、骨なども混じっている30kgのアラから必要な成分が10gくらい取れるんです。

今後は竹の繊維。竹の繊維を挽いて複合材料の強化材にしたら、鉄より強くて環境に優しい素材が出来るんです。 今から15年前かな?同志社大学の先生が、竹の繊維を使ったFRP製のボートを作ったんです。グラスファイバーや色んなものと比較試験をしても遜色がないどころかまだ強いぐらい。その事業が始まって、自動車メーカーが車のバンパーに竹の繊維を使ったものを作ってみたい、と言ってきました。段々「これは日本の竹だけでは間に合わない」となってきて、ミャンマーに自生する一年で10mぐらい育つ竹を輸入してそれを挽いてみようか、となったり・・・。 今でも繊維を粉にすることは出来るんですけど、まだバンパーを作る技術がなくて出来ていないんですけどね。

中山忠彦(なかやま ただひこ)さん

1956年生(62才:取材日時点)

中山石材工房
山梨大工学部卒業後、ゼネコンに入社し、道路工事・トンネル工事の現場監督を務めていたが、27才で地元に戻り、30才になったのを機に父と同じ石工職人の道を歩む。 産地でも数少なくなった、『丸物』に特化した石材加工を行う石屋さん。
担当しているAJI PROJECT商品
BOTTLE (L / S) / CAVE / BEACON VASE(L / S) / POUND / QUATER
プライベート
子どもの頃からモノを作ることが好きで、墓石中心の産地でクラフト制作をメインにしている数少ない職人さんの一人。「平成22年度むらおこし特産品コンテスト」中小企業庁長官賞などを受賞した庵治石製のコーヒーミルは海外でも人気のアイテム。また50才で始めた二胡演奏も各所で公演を依頼される程の腕前。